サマーソニック2017東京 8/19 1日目 女王蜂レポ、女王蜂への個人的な想い

遅ればせながら...8/19(土)、サマソニ2017東京、行ってきましたレポです!

ロックフェス...というより、ライブというもの自体1回しか行ったことがない私でしたが、魂を解放できる最高のフェスでした。音楽と全身が共振するって、ライブならではの体験だと思います。

私は愛しの女王蜂を見るために行きました。一度でいいから、小学生の頃からの憧れ、女王蜂の音楽を生で体感したい!

...とそんなこんなで、11:10からの女王蜂のライブを見てきました。

以下、拙い表現の上に感情が溢れてしまっていてまともな文章ではないんですが、ライブレポートを記します。ライブ内でのアーティストの発言などは一字一句確かなものではありません、申し訳ございません🙇‍♀️

11:10に涼しい屋内のソニックステージでライブを開始した女王蜂。

ルリちゃん、やしちゃん、ひばりくん、サポートメンバーのキーボードの方(申し訳ございません、お名前を存じ上げません)が登場し、スローバージョンの「金星」を演奏し始める。会場が熱を帯びてきて、まだかまだかと全ての観客が思っているであろう空間にボーカル・アヴちゃんの通る歌声が響いた。それでもまだ姿を見せず、歌声だけ聴こえている状態。私はそわそわして待ち構えていたけれど、登場したらその瞬間に感動で倒れてしまいそうだったので怖かった。そんなことを私が考えている間に、アヴちゃんは颯爽と登場した。

ああ、女王蜂だ!私は、今女王蜂のライブにいるんだ!と実感した。そこにいるだけで立ち上るアヴちゃんのカリスマ性。迷いを一寸も感じさせない振る舞いやパフォーマンスに、何にも代え難い美しさを感じた。痺れる!この感覚だ。登場しただけで女王蜂の魅力を目一杯に感じられた。そのまま普段のバージョンの「金星」を歌い始めるアヴちゃん。英歌詞の部分になると客席にマイクを向けてくれたり、煽ってくれたり。

「カリスマ性」とは安い言葉に聞こえるかもしれない。でも実際、観客全員がアヴちゃんの持つ"見えない一本の糸"に引き寄せられているような感じがあった。

「金星」で盛り上がった次は「DANCE DANCE DANCE」。これもまたアップテンポな曲で、客席が賑わった。続いて「ヴィーナス」、ジュリ扇をはためかせている観客たちが見えた。

「ヴィーナス」までポップでノリやすい定番曲が多かったが、彼女たちが次の曲に選んだのは「売春」。実は個人的に女王蜂の楽曲で一番好きな、愛してやまない曲だ。(嘘!これを歌ってくれるの!?)あまりにも好きすぎてそんな思いで胸がいっぱいになった。畳み掛けるように次々と紡がれる、触れたら綻びてしまいそうな繊細さを持った歌詞。終始私は口パクしながらずっと歌詞を追っていた。とうとう涙が溢れ出そうになった。

この曲の余韻に浸る間もなく、明るいサウンドが響いた。

「D・ I・S・C・O!!」多くの観客が待ちに待っていたであろうこの曲、「デスコ」が始まった!「みんな踊れますか〜?」と笑顔で煽るアヴちゃん。熱を帯びた賑わう観客たちの間に、さらなる一体感が加わった。「ディーアイエスシーオーディスコまだまだいくよっ♫」みたいなことを笑顔で言ってるアヴちゃんが超可愛かった。

なんだか間奏の時にアヴちゃんがPPAPらしき動きをしていたような気がしたんだけれど、確かかは分からない笑(でも私以外にもそう思った方はいらっしゃるようだ)。その時のサマソニ、10時台にピコ太郎ちゃんが来ていたのですよ。

「デスコ」が終わったら、一旦挨拶の時間。「初めてのサマソニやったから、8人くらい来てくれればええかな〜と思ってたんやけど、こんなたくさんの人に来ていただいて...」というようなことを言って笑いを誘っていたアヴちゃん。挨拶の時間は短かった。

「それでは、最後の曲です」

なんと最後の曲は、「告げ口」。衝撃的だった。

アヴちゃんは男声と女声の両方を使う歌唱法が特徴的で、この曲はその特徴が全面に出ている。

ライブを「きれいにスッキリまとめたい」場合、この曲で終わらせるという選択はしないだろう。何よりこのショッキングな歌詞。異性に穢らわしさを感じはじめ、それを咎める思春期の少女。そして綺麗事を並べる偽善者の教師に、それが全くの嘘でまやかしであることを突きつける少女(完全に私の解釈ですが...)。可愛らしい女声で歌ったかと思えば、急に野太い男声になり烈々たる激情を歌い上げる。女王蜂の音楽を初めて聴く人は、まずこの歌唱に仰天するだろう。

表情も振る舞いも完全に曲の中の人格が乗り移っているようで、アヴちゃんのパフォーマンスには演劇の要素も入っているな、という気がした。

 

...嗚呼、息もつかせぬ数十分だった。

私たち観客に「強烈な何か」を残して、ライブは終わった。この曲でライブを終えたことに、確かな意味を見出せた。

そしてやっぱりアヴちゃんは、ライブ中に一度も水を飲まなかった。あとどの曲か忘れてしまったけれど曲の途中にロング丈の衣装を脱いでミニスカートにタイトなトップスというセクシーな衣装に早変わりしたのがカッコよかった。あの素晴らしいおみ足も眺めました。

ライブのレポは、こんな感じです!

これ以降は、私の私による私のための「女王蜂への愛」を語る自己満足スペースです。ここまで駄文を我慢してくださった方は免疫ができていると思うので、よろしければもう少し(いや、だいぶ)辛抱してご覧ください。

 

女王蜂の音楽は...私の独りよがりな表現で言うと、「血と骨と肉でできている音楽」。伝わらないかもしれないが、全てがむき出しになっている音楽。彼女たちの音楽には、血がどくどくと巡っているし、骨があるし。

何かを包み隠そうとする卑しさが全くないんだよな〜。そこが一番の魅力じゃないかと思う。今の時代、そういうことをやっている人はアーティストですら希少だと思う。何か、みんな"きれい"に見せたがる。でもそういうものは薄汚い。

女王蜂には、痛みや苦しみを狂気的なまでに描いている曲が多いんだけど「誰か私のこの苦しみを分かって〜!」みたいな、自分が自分が、って精神は感じない。感情よりもっと遥かなものを表現している、本物のアーティストだと思う。

 

ライブ終了後にあふれた想いは、「この感動を受け取ったからには、私もアヴちゃんのような強烈な感動を生み出せる人間になりたい!絶対になるんだ!!」というものだった。おこがましくも役者という"表現"と"芸術"に携わる仕事をすることを志している私にとって、これは素通りできない感動だった。感動とは、ただ単にその場でアッと感嘆させられるだけのものではないと私は考えている。感動とは、人生を変えざるを得ない体験のことだ。私は間違いなく感動した。感動させられた。感動という眩しすぎる光には太刀打ちできない!そんな想いが全身を駆け巡った。

そして、私自身が忘れてはいけないのは、音楽を楽しむことが私の終着点ではないということ。あくまで音楽を養分にして何か強烈な美しいものを自分で生み出すことが目的なんだってこと。

自分とはかけ離れた存在なのに、なぜか彼女たちの生み出す音楽に共鳴してばかりいる。こんな普遍的なものを生み出せたら、表現者として最高ではないか。

アヴちゃんからは、生の躍動をこれでもかというばかりに感じる。私の尊敬する女優・高峰秀子氏は「はらわたのある女優になりたい」(見かけばかりの中身のない人間でいたくないという意味)と言っていた。その言葉を借りるならば、アヴちゃんはまさしく「はらわたのある」表現者だ...うん、そう思う。やっぱり高峰秀子さんは言うことが違うなあ。

 

思えば、私が女王蜂の存在を知ったのが小学5年か6年の頃。当時私が夢中だった音楽といえば、戸川純さんとかゲルニカヤプーズアーバンギャルドYMO毛皮のマリーズ椎名林檎、フレネシ、BUMP OF CHICKENRADWIMPS...なんか微妙に統一感がないな。本では三島由紀夫寺山修司森博嗣先生とか、漫画では古屋兎丸先生とか高野文子先生とか萩尾望都先生とか...これもまた統一感ないな!でも音楽や漫画においては、いわゆる「サブカルチャー」がなんだか好きだった。今でも勿論上記のアーティストは全員大好きだけれど、当時は"サブカルチャーだからこそ選民意識が感じられて"好き、って感じだったような気がする。(あとマリア観音とか奇形児とか聴いて音楽通ぶっていた気がする。。。)

余談が長引いてしまった...そう、小5か小6のとき。ちょくちょくチェックしていた音楽雑誌「ROCKIN'ON JAPAN」に彼女達のインタビューが載っていた。初めて写真を見たときの印象は「バブル時代の人みたい!」。無理もない、彼女達は確かブルー系の口紅をつけ、目の周りにはド派手なラメをたっぷりのせていて、ボディコンみたいなファッションだったんだから。ファッションは今よりも派手だった。過激だなぁ〜...と思いながらもインタビューを読んだ。そして、子供ながらに衝撃を受けた。彼女達のどっしりとした構えというか、覚悟のすごさに。私も女王蜂のことを(性別や年齢、国籍が謎な人たちだな〜)と思っていた。そういった声はすでに本人達に多く届いていたらしく、それに対し当時のアヴちゃんはこんなことを言っていた(これもまた一字一句同じではないです)。

「私達の年齢や国籍、性別を知りたがる人はいる。そのことについて憶測で何を言われても構わない。でも、私たちはそことは全く別の場所にいる」

性別や国籍や年齢をはっきりさせない、等の"マイノリティであること"が商品価値(言い方悪いですが)に結びつきつつある現代で、これを断言できることのかっこよさよ。思えば多くの人間は、年齢や国籍や性別が人間の核となるプロフィールだと思い込んでいるのではないか。彼女達はそのプロフィールを取り払って、音楽という武器だけで闘っている。私が「バブル時代の人みたい!」と思ったその奇抜なファッションも、過激な歌詞も、誰かを単にびっくりさせるためのものではない。

男というより、女というより、子供というより、大人というより、「人間」として力強く立っている彼女達。私はそこに「女王蜂」というバンドの誠実さを感じる。

彼女たちにしか到達し得ない場所に、彼女たちは堂々と立っている。

彼女達の音楽が多くの人の心を掴んで離さないのは、多くの人が彼女達の音楽に心を震わせるのは、人の心に対して、そして音楽というものに対して、彼女達が誠実すぎるほどに誠実だからだ。私はそう思う。そして私は次第に、その奇抜なファッションや派手なメイクからもそこはかとない哀愁や悲しみ、葛藤などを感じるようになっていった(これは全くもって独りよがりな感想である...)。「型にはまらない」というジャンルが大好きだった少女は、あっという間に、それにすら属さない「女王蜂」の虜になってしまった。

 

 

駄文な上に怒涛の長文というWの苦痛を与えてしまってごめんなさい(ここまで生き抜いてくださった勇者がいらっしゃるのだとしたら...の話だが)。

私は女王蜂が大好きなんです。10年後とかに私がもう少し精神も文章力も発達していたとして、この暑苦しい文章を恥ずかしいと思うようになっても構わないってくらい今持っている愛をまっすぐに綴ることができたと思います。どうせ10年後になったとしても大好きなんだろうし。

あと、「型にはまらない」というジャンル...という表現がありましたが、女王蜂以外の上記のアーティストがそれに属している、という訳では全くありません!

私の意識の問題なんです。今は上記のアーティストの作品の本質をきちんと見つめようとしている(見つめられているか否かは別)けれど、小学生の頃の私は、それらが型にはまっていない"から"好き、だったっていうことです。子供すぎてよく分かっていなかったんです。どうか伝われ〜

 

サマソニは1日目のみ参戦して、女王蜂→大森靖子きゃりーぱみゅぱみゅ×中田ヤスタカエレファントカシマシSuchmosの順に見ました。女王蜂以外のアーティストの感想は、またの機会に!と思っています。その時は、また見ていただけると嬉しいです。

あと、これはサマソニの想い出(๑>◡<๑)

 

会場↓

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会場に入ってすぐのパイナップル↓

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女王蜂がライブをしたソニックステージ↓

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エレファントカシマシSuchmosがライブをしたマウンテンステージ↓

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